金沢夏樹(かなざわ なつき)のプロフィール

 プロフィール

  • 名前     金沢 夏樹(かなざわ なつき)
  • 性別     
  • 生年月日   :1983年8月22日神戸生まれ、神戸在住
  • 出身     :関西大学 商学部商学科 卒業
  • 職業     :Web集客コンサルタント
  • 趣味     :野球、マラソン、スノーボード、料理
  • 無料メール講座:集客できる!情報発信力向上の7ステップ

 

 

関西大学商学部を卒業後、2007年よりシステムエンジニアとして東京のIT企業に入社。

東証1部上場企業を中心に10社以上のERPシステムの導入・保守に携わる。

約10年のIT業界での知識と経験を活かし、Webを活用した集客の仕組みづくりをメインとしたコンサルタントとして活動している。

セミナー、勉強会、交流会等のイベントを多数主催し、累計1,000名以上の方々に参加してもらっている。

 

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自己紹介

はじめまして。金沢夏樹と申します。

『Web集客コンサルタント』という肩書きで神戸・大阪を中心に活動しています。

 

 

個人や少人数でビジネスをされている方をメインに、Webを活用した集客の仕組みづくりをご提供しています。

多くの方は『Web』と聞くだけで、『何か難しそう・・・』と思ってしまうのですが、実はそんなに難しくなくとてもシンプルなものです。

 

 

士業やコーチなど自分自身を商品として活動されている方、店舗や教室を構えてビジネスをされている方、物販をされている方等で、Webを活用してもっと集客したいという方はぜひ一度ご連絡ください。

 

 

 

この仕事を通して実現したいこと・ミッション

この世の中には本当に多くの素晴らしい活動をされている方、人の役に立つ商品・サービスを扱っている方がいます。

ですが、その多くが情報発信力が無いために、それを求めている人たちのところに届いていないという状況です。

 

 

例えば、金槌を持っているAさんがいて、釘を打ちたいBさんがいたとします。

Bさんは金槌を持っていないので、誰かから買ってくるか借りてこないといけません。

 

 

つまり、Bさんには金槌を使いたいというニーズがあります。そして、Aさんには提供できる金槌という商品があります。

 

 

AさんはBさんに提供できる価値を持っているのですが、Aさんがその価値を持っていることをBさんは知りません。

なぜなら、Aさんは金槌を持っていることを発信していないので、周りの人は知らないからです。

 

 

もったい無いですよね。

ですが、多くの人がこのAさんと同じような状況になっています。

つまり、供給できる価値を、需要を持っている人のところに伝えられていないということです。

 

 

集客というのは、この需要と供給をマッチングさせる活動です。

時には潜在的な需要を掘り起こすというケースもありますが、シンプルにいうと、提供できる価値を持っている人のところに、それを必要としている人を引きあわせることが集客です。

 

 

みなさんご自身の商品・サービスはとても価値が高いものを提供されているのですが、それを求めている人たちに届けられていないという課題をお持ちです。

そこを解消するのが私の仕事です。

 

 

自分の好きなことや、やりたい事に本気で取り組んで価値を創出して、ワクワク生きる人を1万人輩出する事が私のミッションです。

せっかく生れてきた人生、自分のやりたい事に熱狂して生きていきたいと思っていますし、私の周りの人もそう生きてもらいたいと思っています。

 

 

僕たちが住んでいる日本という国ですが、治安も良く、経済的にも恵まれていて、とても良い環境だというのが、日本で生活している人たちの共通認識だと思います。

実際にどれだけ貧乏をしても生活保護など国が助けてくれたり、国民皆保険制度によって基本的には誰もが医療を受けれたり、セーフティーネットも整っている

日本に生まれた時点で、世界的に見たら恵まれ過ぎていて、何不自由の無い生活ができているのだと、僕自身もそう思っていました。

 

 

経済的な面では、今もそう思っていますが、精神的な面では逆なんじゃないかと思っています。

 

 

以前、ある講演会に参加してスピーカーの方の話を聞いていた時に、日本の自殺率の高さについての言及がありました。

それも若年層の自殺率が世界各国と比較して異常に高いとのこと。

こういう話題は僕らが中高生の頃から度々テレビのニュースなどで目にしていたのですが、その頃はそこまで深く考えることもなく『へぇ〜』っと思って観ていました。

 

 

ですが、この講演会に参加した時には僕自身も2人の子供がいて、自分も30歳を超えて大人になっていたこともあり、少し違った感じ方をしました。

こんなに未来のある若者たちが、なぜ自ら命を絶たないといけないんだろう。どこにその原因があるんだろう。

子供がいる状態でこのような話を聞くといたたまれない気持ちになって、微力ながら何かやらないといけないという気持ちが湧いてきました。

 

 

複雑な状況が絡まり合っての結果がそうなっているのだと思うので、何か1つを解消したら良いというものではないでしょうし、答えが分かっている問題ではないので、何が出来るのかも分かりません。

 

 

ただ、1つ分かっているのは、未来に希望を持てないから自殺という決断をとってしまうわけで、希望があれば踏みとどまれる子もいるかもしれません。

『最近の子供たちは夢を持っていない』という言葉を聞くことがありますが、これは子供たちが悪いわけじゃなく、僕たち大人が夢を持たせられていないことが理由だと思っています。

 

 

子供は大人たちのことを思っている以上によく見ています。

大人が疲れ切っていることもちゃんと知っています。

これを見たら自分たちも大人になったら、こんな風になるのかと思ってしまうのも無理はないですよね。

 

 

そこを変えていきたい!

大人が自分が好きなこと、やりがいを感じること、楽しいことに本気で取り組んで、ワクワクして生きている姿を見せてやりたい。

『大人になったら、こんなにオモロいんか。早く大人になりたいな。』と思わせられるぐらい、イキイキしている大人を1人でも多く増やしていくというのが、僕の使命・ミッションだと思って活動しています。

 

 

1人で出来る事は限られています。

同じ思いをお持ちの方がもしいれば、一緒に協力したいので、ぜひご連絡ください。

 

 

もうちょっと詳しいプロフィール

もっと金沢夏樹について知りたい!という方のために(笑)、もう少し詳しく自己紹介します。

 

 

生誕

1983年8月22日に神戸のパルモア病院というところで生まれました。

みなさん自分の誕生日が有名人の誰と一緒なのか気になったりすると思いますが、僕の生まれたこの8月22日もそうそうたるメンバーがこの世に生まれ落ちています。

北川景子、斎藤工、菅野美穂という美男美女に加えて、タモリとみのもんたというお昼の顔が2人とも同じ日に生まれているというのが注目です。

ちなみに、自分たちが0歳の時に公園で親同士が出会ってから35年の付き合いのある幼馴染も同じ8月22日生まれということで、誕生日の日付には人並み以上の愛着を持っています。

 

 

ちなみに、4人兄弟の長男で下には妹が3人います。

また、年も結構近く、一番下の妹が5つ下なので、僕が小学6年の時には4人全員が同じ小学校に通うという(笑)

 

 

幼少期〜小学生

幼稚園に入る前は家の近くのグラウンドでずっとサッカーボールを蹴っているぐらいサッカー少年だったらしいのですが、小学校に入る前に『野球がやりたい!』と言い出したらしく、小学1年生の頃から少年野球チームに。

野球を始めた頃から、プロ野球選手になるのが夢で、それから高校で野球を辞めるまでは本当に野球のことばかり考えて生きていました。

 

 

初めてちゃんと試合に出始めたのは3年生の頃で、1つ上の学年の子達に混ざって試合に出してもらっていました。

デビュー戦はセカンド(二塁手)で、4年生になって自分たちの学年のチームになるまでの1年間はセカンドとしてプレーしていました。

 

 

6年生の時にはチームも強くて神戸市の大会で優勝して県大会まで行きました。

残念ながら県大会では1回戦で負けてしまいましたが、プロの選手がプレーする球場のマウンドに立った時の感動は今でもリアルに覚えています。

 

 

中学時代

少年野球でそこそこの成績を残したというのもあり、中学校の野球部には入らずに神戸ドラゴンズという硬式のクラブチームに行ってプレーすることになりました。

ある程度自信があって行ったのですが、同級生とは思えないような子達がたくさんいて、来るところを間違えたと思いましたね。

 

 

行ったからにはレギュラーになりたいと思って、一生懸命練習をして、2年生の時には1番ショートでデビューして、そこから守備位置はサード(三塁手)に変わりましたが、3年で卒部するまではレギュラーを守り続けました。

同じ学年には今も現役で活躍している西武ライオンズの栗山巧選手、1つ下にはヤクルトスワローズの坂口智隆選手がいたこともあり、全国大会でベスト4という成績を残すことができました。

 

 

学校の成績は、体育はもちろん良かったのですが、他もそんなに勉強をしていない割には良かったと思います。

家で勉強をした記憶は一切ないので、ほとんど勉強してないと思います(笑)

 

 

1つだけ記憶にあるのが、夏休みに神戸市の中学生に共通の宿題で『税の作文』というのがあり、なぜか選ばれて賞をもらったのを覚えています。

いま税金について何か書けと言われても、1文字も書けない自信がありますけどね(笑)

 

 

高校時代

高校の時に自分の人生において最初の挫折を経験することになります。

進学したのは公立高校ではあるのですが、野球部の専用グラウンドを持っていて甲子園も十分目指せる高校です。

実際に、過去には甲子園出場やプロ野球選手も輩出している高校で、練習も私立の名門校と変わらないぐらいやっていました。

 

 

2年の秋の大会の時に、レギュラーにはなれないとしても背番号はもらってメンバーには入れると思っていたのですが、いざメンバー発表された時には自分の名前はなく、メンバーから外れてしまうことになります。

1つ上の代なので、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、自分としては全然納得がいかず、今までずっとやってきたサードを捨てて、守備位置をピッチャーに変えることにしました。

 

 

そこからは思ったようなプレーが全然できず、高校で野球をやめることになりました。

今までそれなりに順風満帆にいっていた野球が急に上手くいかなくなり人生で初めて大きな挫折を感じた瞬間でした。

就職するまでの5年間ぐらいは悔しくて、高校野球は一切観れませんでしたね。

 

 

浪人時代

12年間野球に費やしてきた代償は大きく、志望校を関西大学に定めて高校3年の秋から勉強を受験勉強を始めましたが、受かるわけもなく、浪人することになりました。

 

 

家庭の事情と、今までの経験上、授業というスタイルが自分に合っていないというのが分かっていたので、予備校には通わずに自分で勉強をして大学合格を目指して勉強することにしました。

 

 

高校3年の秋頃だったと思いますが、大学受験用の全国模試を受けたことがあります。

志望校の関西大学の偏差値が63ぐらいに対して、自分の偏差値が確か38だったと思います。(たぶん、大学受験する人たちの中での偏差値なので、少し極端には出てるんでしょうけど、それでも38はひどい。。。)

 

 

ビリギャル並みの成績アップをしないと合格できないレベルで、3年の時の担任の先生からも三者面談で、親がいる前ではっきりと『志望校への進学は浪人してもきっと無理でしょう』と言われたぐらいからのスタートです。

 

 

まずはジュンク堂に行って受験用のテキストを自分で選ぶのと、志望校の赤本を手に入れることから始めました。

毎日ではないですが、ちょこちょこアルバイトに行きながら、夜遅くまで勉強するという日々を1年間過ごしました。

 

 

1年間あるとはいえ、相当低い位置からのスタートなので、普通の勉強をしていては絶対に合格しないと思い、ターゲットを志望校のみに絞って、そこに受かるためだけの勉強をして受験を迎えました。

なので、直前の模試での合格判定がE判定(合格確率20%以下)にも関わらず、滑り止めは受けず一本に絞って受験することに。

 

 

当時、合格発表が現地に見に行くか、電話で受験番号を入力して確認するという形だったのですが、さすがにこの時ばかりは電話の番号を押す手が震えましたね。

結果は無事合格して春から関西大学に通うこととなりました。

 

 

大学時代

一応、進級するのに必要な単位はしっかりと取りましたが、ほとんど勉強はせず、大学時代は学校に通いながらバイトに明け暮れてました。

だいたい月に14、15万円〜20万円ぐらいバイトをしていたので、ほとんど毎日バイトしてましたね。

でも、それでも毎月給料日前にはお金がギリギリになっていたので、その分遊んでもいたのだと思います。

 

 

大学時代はこれと言って頑張ったこともなく、楽しかったですが、記憶にはあまり残っていない薄い4年間だったように感じます。

 

就職〜会社員時代

商学部でファイナンス専攻だったこともあり、最初は銀行か証券会社、もしくはベンチャーキャピタルなど金融系の企業に就職しようと思っていました。

実際に、メガバンクや大手証券会社等もたくさん受けたのですが、結局それらは全て途中で選考を辞退してIT関係の会社に就職することになりました。

 

 

職種としてはSE(システムエンジニア)です。

今でもよく聞かれるのが、『なんで文系なのにSEになったの?』ということです。

回答は、これからの時代、IT技術を身に付けておくと、やりたいことを何でも実現できると思ったからITという世界を選びました。

 

 

結局、最初の会社は6年ほど勤めて、転職という形で地元の神戸に帰ってきて大阪の会社に勤めることになりました。

トータル10年間会社員として仕事をしたことになります。

 

 

独立

 

※続きは随時書いて行きます。

 

 

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